1993年4月の米ワシントンでの日米首脳会談で、宮沢喜一首相が、立ち遅れている中国が飛躍的な経済発展を遂げる可能性に言及した上で「軍事的野心を発揮していく余地は十分ある」との警戒感をクリントン大統領に伝えていた。26日公開の外交文書で明らかになった。
1993年4月に訪米した宮沢喜一首相に対し、米国が北朝鮮やイランの核開発について「5年10年先を考えると、深刻な脅威となる危険性がある」との分析を伝えていたことが26日公開の外交文書で分かった。旧ソ連との冷戦に打ち勝った米国は当時、核拡散を冷戦後の最 ...
日本政府が1993年7月の主要7カ国(G7)東京サミットで対ロシア支援を優先し、北方領土問題を扱わなかった経緯が26日公開の外交文書で明らかになった。ロシアのエリツィン大統領はサミットの際に来日し、宮沢喜一首相との会談で、領土問題を話し合うための公式 ...
1993年3月、宮沢喜一首相が翌月に控えたクリントン米大統領との会談前ブリーフィングで、クリントン氏を「新人類」と表現していたことが26日公開の外交文書で明らかになった。クリントン氏は国内経済の立て直しが急務で、対日貿易赤字解消に向け日本に強硬姿勢で ...
1993年4月に宮沢喜一首相とクリントン米大統領が会談した際、議会の議事進行を遅らせる議事妨害(フィリバスター)を巡り談笑する一幕があったことが26日公開の外交文書で明らかになった。クリントン氏が米国の景気刺激策に言及し、上院で「フィリバスターにあっ ...
1993年の関税貿易一般協定(ガット)ウルグアイ・ラウンド交渉の最終盤で、米国が木材・林産物の関税撤廃をしつこく要求し、日本が拒絶していたことが26日公開の外交文書で分かった。米側はクリントン大統領から細川護熙首相に直接電話すると言及したが、赤尾信敏 ...
住友林業は2014年12月以降に24都府県で施工した計930棟の住宅などの軒裏に使用した建材が、国の定める準耐火性能の認定基準に適合していなかったと発表した。同社は24年12月5日に建築基準法の規定に抵触する恐れがあるとして国土交通省に届け出た。24都府県の住宅や事務所などが対象。都道府県別では東京都内が約7割の626棟だった。用途別では9割が戸建て住宅だった。対象の建物については今後実施する ...
1980年代に保護主義が台頭し、自由貿易体制を維持、強化するため、関税貿易一般協定(ガット)ウルグアイ・ラウンドは何としても妥結を成功させなければならない一大多国間交渉だった。日本の戦後復興は自由貿易体制の恩恵を受けてきたので、失敗は初めから私の頭の中になかった。政治改革以上に大きなテーマで、政権が倒れてもというくらいの思いだった。コメが秘密交渉だったとの批判があったが、国際交渉は秘密裏に行う ...
1993年10月の第1回アフリカ開発会議(TICAD)を巡り、参加国をサハラ砂漠以南(サブサハラ)の国に限定する日本政府方針に対し、エジプトなど北アフリカ諸国からサブサハラとの「対決ムードをあおるようなことになりかねない」として参加要望が相次いでいたことが26日公開の外交文書で分かった。TICADは結果的に、北アフリカ諸国を含む48カ国が参加した。ただ北アフリカ諸国の参加が決まった経緯は今回公 ...
26日公開の外交文書には宮沢喜一、細川護熙両首相が外交の場で自ら英語を駆使し、国内外から高評価を受けたことが記録されている。細川氏は連立政権発足翌月の9月の国連総会一般討論演説で、政権の外交姿勢について英語で説明。海外から「日本の変化を感じる。極めてスムーズで新鮮な感じを与える」などの反応を受けた。外務省の内部文書によると、細川氏の英語演説は「本人の意向」。同省は「英語で国連演説をし、自信をつ ...
ウルグアイ・ラウンドは全ての農産物を関税化する方針で交渉しており、(関税化適用を猶予した)コメの特例措置は例外中の例外だった。コメの自由化は国内に心理的な反発があり、政治的にものめなかった。ミニマムアクセス(最低輸入量)の受け入れという合意は、当時の状況ではベストだった。対象のうちコメについては、農林水産省の審議官が米国と交渉していた。1993年秋、まとまりそうだとの連絡があり合意案の要点の報 ...
外務省は26日、外交文書11冊、4400ページ超を一般公開した。日本が1993年にコメの部分開放を受け入れた関税貿易一般協定(ガット)ウルグアイ・ラウンドに関連し、渡辺美智雄外相が米国に「コメに手を付けると選挙で勝てない」と述べ、譲歩を求めていたことが分かった。宮沢喜一首相も日米首脳会談で、89年参院選の自民党大敗で少数与党に転落しているとして、コメ貿易の自由化に必要な法改正が難しいとの考えを ...